孤独って、ただの寂しさじゃない。誰かの笑顔を見ても、自分のことじゃないって知ってるときのあの虚しさ。SNSで「友達がいない」とつぶやいても、返ってくるのは数字だけ。
本当は誰かに触れてほしいのに、画面の向こうには誰もいない。あなたのその孤独、もしかしたら、もう誰かに利用されてるかもしれない。
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パラソーシャル関係が広げる孤独の連鎖
パラソーシャル関係──つまり、テレビやYouTube、SNSなどで一方的に親しみを感じる“片想いのようなつながり”。
本来なら救いになるはずだったこの関係が、いま逆に人を深い孤独へと突き落としている。
たとえば、TikTokやYouTubeで「今日は誰とも話してない」「友達いない」って泣いてる動画、見たことあると思うんです。
コメント欄には「わかる」「自分もそう」って共感が並ぶ。
そして、再生数は10万、20万と伸びていく──まるで誰かの“寂しさ”が、再生回数に換金されているかのように。
これは偶然じゃない。「孤独マーケティング」がすでに始まっている。
SNS上では、「共感されやすい孤独」を発信すればするほど、エンゲージメントが上がる仕組みになっている。
つまり、誰かがあなたと同じ孤独を語ることで、広告収入を得ている。
それを否定はしないけど、でも、気づいてほしい。
その寂しさ、本当にあなたのままでいていいのか?
「誰かのため」がいつのまにか「誰かの金」になっている現実
あるインフルエンサーが言った。「あなたのコメントに涙が出ました」と。
それは真実かもしれない。でもその涙の裏で、動画の中にはスポンサー広告が埋め込まれている。
つまりこういうことだ。
- あなたが孤独な夜に泣きながら見た動画
- あなたが「わかる」と打ち込んだコメント
- あなたが押した再生ボタン
その全部が、「孤独ビジネス」の歯車になっている。
こういう構図が成立してしまう背景には、社会全体のつながりの希薄化がある。
心理学者ジュリアン・ホルト=ランスタッドは、「孤独は1日15本のタバコを吸うのと同等の健康リスクがある」と警告している。
それくらい、現代の孤独は深刻なのに、僕たちはその孤独すら「コンテンツ化」して消費してしまっている。
これ、かなりやばい。
「推し活」は救い?それとも感情の搾取?
もちろん、推しがいることで救われることもある。
でも、あなたが“癒やされてる”と思ってるその関係が、実はあなたの心を侵食しているかもしれない。
推しが笑えば、あなたも笑う。推しが泣けば、あなたも涙する。
それはもはや、自分の感情の主導権を手放している状態だ。
精神科医エリック・バーンは「交流分析理論」の中で、こう語った。
人は“感情のゲーム”に参加することで、自分の人生を他人に預けてしまう。
あなたの“共感”が誰かのバズになり、あなたの“孤独”が誰かの収益になる。
その一方で、あなたは──孤独なままだ。
これは搾取じゃありませんか?
スマホの中の「つながり」が壊す、リアルなあなたの心
夜中、スマホを眺めながらふと思ったことはないですか?
「なんで自分は、あっちの世界には入れないんだろう」って。
SNSには楽しそうな旅行、豪華な食事、キラキラした友達との集合写真が溢れている。
あなたはそれを“見せられてる”だけで、招待されていない。
たとえ相手が「一緒に行こう」と言ってくれても、それは演出でしかない。
インフルエンサーが「一緒に旅しよう」と言っても、実際に一緒に旅してるのはスポンサーだけ。
あなたは、その旅の中にいない。
気づかないうちに、孤独に“慣らされて”しまう。
「友達がいないのも、まあ仕方ない」
「ひとりで生きてくのも、悪くないかも」
そんなふうに、“あきらめ”が染みついていく。
それは本当にあなたの本音なのか?
まとめ
孤独は、商品になってしまった。
それを消費してるのは、僕たち自身だ。
でも、だからといって、自分の心まで売り渡す必要なんてない。
スマホの向こうの誰かを応援する前に、自分自身を応援してあげてほしい。
パラソーシャル関係に頼る前に、近くにいる一人に「最近どう?」って声をかけてみてほしい。
本当のつながりは、手間がかかる。
でも、その不器用さの中にしか、あたたかさは宿らない。
あなたの感情は、あなたのものだ。
誰の広告にも、誰のコンテンツにも、渡さなくていい。
孤独を抱えたままでも、あなたは、ちゃんと生きていける。
その先に、本当に笑える日が来る。