「推しがいてくれてよかった」――そう思える瞬間があるから、今日もなんとか頑張れている。
朝、布団から出る理由。仕事帰り、ひとりの部屋を照らす存在。
そんな“救い”を、誰かに求めることのどこが悪いのか。
寂しさをごまかすでも、疲れた心を癒すでも、そこに罪はないはず。
そう、自分でもわかっている。「ちょっと依存してるかも」って。
でも気づかないふりをする。
それは、わかってしまった瞬間に、心が壊れてしまいそうだから。
目次
あなたの“推し”に宿るもの──満たされなかった場所を埋めるために
推しを応援することは、何もおかしいことではありません。
画面越しでも、その存在が本当に温かく感じられる。
一方的なのに、まるで通じ合っているような気がする。
心理学者ドナルド・ホートンとR. リチャード・ウォールは、1956年にこの現象を「パラソーシャル関係」と名づけました。
それは一方通行の愛情でありながら、人間関係と同じくらい心を動かす。
現代のSNSや動画配信は、あなたと“推し”の距離を限りなくゼロに近づけました。
彼らのつぶやき、食べたランチ、仕事の舞台裏。
その全てが、あなたの日常を満たしていく。
気づけば、推しが元気かどうかで、自分の機嫌が決まるようになっていた。
それはあなたの心が弱いのではなく、世界があまりにも冷たいから。
「現実がしんどいから、推しの世界に逃げる」
それはごく自然な心の反応です。
癒しが静かに毒に変わる瞬間──あなたはもう、知っている
でもね、ほんとうは知っているでしょう?
このままじゃ、いずれ何かが壊れるって。
「推しがいるから、孤独じゃない」
「現実がつらくても、推しを見ていれば平気」
そう思い込んでいるうちに、あなたの“心の体力”は静かに削れていく。
ある日、推しがスキャンダルに巻き込まれる。
炎上、活動休止、引退――現実が、何の前触れもなく訪れる。
その時、あなたはどうするのか?
「私は大丈夫」と笑っていられるだろうか。
それとも、生きていく意味を、一緒に失ってしまうだろうか。
2021年、中国の研究者孫三が発表した『Travel Frogにおけるパラソーシャル関係と文化的投影』では、
プレイヤーたちが旅カエルを「息子」として扱い、
自分の叶えられなかった人生をその小さなカエルに託していたことが明らかになりました。
自由を得られなかった心は、ゲームの中にそれを投影する。
それは優しい幻想に見えて、裏側には「自分ではもう無理だ」という諦めの感情があるのです。
「わかってるけど仕方ない」──あなたの中の甘えに、名前をつけてください
「でも、今さら推しを手放すなんて無理」
「現実の人間関係は疲れるだけだし」
「推しだけは、裏切らないから」
……それ、何度目の言い訳ですか?
あなたの中のもう一人が、こうささやいていませんか?
「本当は自分の人生を生きていない」
「推しのことを考えているときだけ、自分が空っぽじゃなくなる」
ねえ、どうしてそこまでして、自分を後回しにするんですか?
どうして、他人の人生に感情のすべてを賭けて、
あなた自身の感情は“二の次”にするんですか?
優しい人なんだと思います。
でも、その優しさが、あなたの心を壊し始めていることにも気づいてほしい。
このまま進めば、何が崩れるのか──未来予測のリアル
想像してみてください。
5年後、10年後、あなたの“推し”はどうなっているでしょうか?
芸能界を去っているかもしれない。
結婚しているかもしれない。
あなたの声が、もう届かない場所にいるかもしれない。
でも、その時あなたは――
何を持っているでしょうか?
リアルな人間関係はうまく築けないまま、
家族とも疎遠になり、
仕事のモチベーションも“推しが頑張ってるから”だけで回っている。
何かを失っても、「でも推しがいれば……」とごまかし続けてきた日々。
その先に残るのは、**感情を誰にも預けられなくなった“孤独の化石”**です。
気づいた時には、時間も人間関係も、自分という存在も――
もう手元に残っていないかもしれない。
あなたは“推し”のために生きるべきじゃない。あなた自身のために生きるべきだ
大丈夫です。
推しを愛することと、自分の人生を生きることは、同時にできるはずです。
でもそのためには、一度「手放す勇気」が必要です。
何かを終わらせるんじゃなく、自分の心を取り戻すために。
推しの笑顔を見たとき、
「私も、私の人生で輝こう」と思えたら、
それが本当の“癒し”だと僕は思います。
今のままじゃダメだと、どこかで気づいていたあなたへ。
それでも変われなかったあなたへ。
だから、今こそ。
その感情に、はっきり名前をつけよう。
「これは、私の人生だ」って。
まとめ
あなたの“推し”は、光であり、救いであり、希望でもある。
でも、それはあなたの人生を代わりに歩んでくれる存在ではない。
パラソーシャル関係は、孤独な心をそっとなだめてくれる一方で、
現実からの逃避を長引かせる麻酔にもなり得る。
だからこそ、あなた自身の足で、現実に一歩だけ戻ってみてください。
画面を閉じたあとも、今日をちゃんと生きている自分に、少しだけ誇りを持って。
推し活は終わらせなくていい。
ただ、それにすべてを託すのは、今日で終わりにしませんか。