なたは本当は誰かと話したい。でも「自分の話、つまらないかも」と思って、また今日も黙ってしまう。心のどこかで「変わりたい」と思ってるあなたへ。面白い人になる必要なんて、実はまったくなかったんです。
目次
「つまらない自分」に疲れたあなたへ
「何を話せばいいかわからない」「黙ってると“暗い人”だと思われそうで怖い」
そんなふうに感じるのは、あなたが空気を読もうとする優しい人だからです。
でも、その優しさがいつの間にかあなた自身を傷つけていませんか?
誰かが雑談している輪の中で、一歩が踏み出せず「やっぱり自分はつまらない人間だ」と決めつけてしまう——そんな経験、きっと一度や二度ではないはずです。
でも、本当に“つまらない”のは、あなた自身ですか?
会話に「笑い」を求めすぎると苦しくなる理由
あなたが話すたびに、みんなが爆笑してくれたら嬉しい——そう思う気持ちはよくわかります。でも、笑いを目指すほど、会話はうまくいかなくなることが多いんです。
その理由は、“笑わせなきゃ”というプレッシャーが、あなたの自然な言葉を奪ってしまうから。
心理学者ニコラス・エプレイの研究によれば、
「人は、自分が思っている以上に、相手の話に関心を持っている」
という結果が出ています。
つまり、あなたが話す内容が面白くなくても、“あなた自身”に興味を持ってくれている人はいるということです。
笑わせなくていい。ただ、あなたがどう思ったのか、それをそのまま言葉にするだけで十分なんです。
“つまらない自分”を演じ続けると、本当につまらなくなる
「どうせ自分なんか」
「誰も聞いてないし」
そう思って黙っていると、その沈黙は習慣になっていきます。
それが積み重なると、次第に「本当は話したい」という感情すら、感じにくくなっていきます。
精神科医アルバート・エリスは、
「人を苦しめるのは現実ではなく、それについての“非合理な思い込み”だ」
と言いました。
「自分はつまらない」という思い込みは、あなたの“今”を壊し、
「どうせ無理」という声は、あなたの“未来”を閉じてしまうのです。
話がうまくなくても「また話したい」と思わせる人の共通点
僕がこれまでに出会った“また会いたくなる人”たちは、必ずしも話がうまい人ではありませんでした。
**彼らに共通していたのは、「感情をそのまま伝える力」**です。
たとえばこんなふうに。
- 「今朝、雨に降られてちょっと落ち込んだよ」
- 「週末、猫カフェに行ったんだけど、猫より店員さんのほうが怖かった(笑)」
- 「このチョコ、意外とおいしいね。食べてみる?」
特別なことじゃなくていいんです。
ちょっとした体験や気持ちを、“その場の空気で”伝えること。
そして、伝えた後は相手の反応を受け取る余白をつくること。
それだけで、「この人と話すと落ち着く」と思ってもらえることがあります。
このまま何も変えなければどうなるか
あなたがこれまで通り、「つまらないと思われたくない」と黙っていたらどうなるでしょう?
- 職場では「話しかけにくい人」と思われるかもしれない
- 周りの雑談に入れず、孤立していくかもしれない
- 本当は話したかったのに、「あのとき話しておけばよかった」と後悔するかもしれない
そして、最も怖いのは——
あなた自身が「人と関わりたい」という感情を、なかったことにしてしまうことです。
沈黙に慣れてしまうと、人と話すことが「非日常」になります。
それはもう、笑わせられるとか、面白いとかいう次元ではありません。
会話はスキルではなく“空気”でつくるもの
会話がうまい人は、ネタが豊富な人ではありません。
「今ここ」を感じて、それを共有できる人です。
たとえばこういう風に会話を始めてみてください。
- 「今日は眠いですね…ずっと雨だからかな」
- 「この前、テレビで変なCM見ました。○○って知ってます?」
最初は“つながり”をつくることだけに集中すればいいんです。
無理にオチをつけなくていい。相手を笑わせなくていい。
その代わりに、あなたの声のトーン、目の動き、笑い方、間の取り方——
そういう“空気”が相手に伝わって、「この人ともっと話したい」と思われるんです。
まとめ
あなたがつまらないのではなく、“話すことに自信が持てなかっただけ”。
自分の言葉が誰かを笑わせなくても、それでも十分価値があるということを、忘れないでください。話すって、特別なことじゃない。
ちょっとした共感の交換が、今日を少しだけ生きやすくしてくれます。
そしてそれができるあなたは、もう“つまらない人”じゃありません。