社会不安

【死にたいわけじゃないのに】人生をどこかで終える気がしてしまう心理

「死にたいわけじゃない。でも、なんとなく、いつか自分は人生を終えてしまう気がする」──
この言葉に心のどこかがざわついたなら、あなたは一人じゃない。
そして、その違和感の正体に気づこうとしているあなたは、すでに一歩踏み出している。

無感情な“死の予感”に名前はあるのか?──「死にたい」わけではない人へ

「死にたいわけじゃない」。
それでも、ふとした瞬間に「きっと、どこかで自分は終わる」と思ってしまう——その感覚には、名前がない。
けれど、似たものは心理学や精神医学の中にいくつか存在しています。

たとえば、「存在的空虚感(existential vacuum)」という言葉。
心理学者ヴィクトール・フランクルが提唱したこの概念は、人生の意味を見失ったとき、人は“生きている実感”をなくしていくという考えです。
それは、うつでもなく、明確な絶望でもなく、ただ“空白”のように心の中に広がっていきます。

  • 笑えるけど楽しくない
  • 生きてるけど、意味は感じない
  • 今日も昨日の続きで、特に何も起きない

あなたが感じているのは、まさにこの*静かな崩壊”の入り口かもしれません。

なぜ僕たちは“どこかで終わる”人生を想像してしまうのか?

たとえばあなたが、日常のなかで「何のためにこれをしてるんだろう」と立ち止まったことがあるなら。
その一瞬こそが、“人生の止まりかけた音”かもしれません。

この感覚は、特別なトラウマがある人だけが抱くものではありません。
むしろ、どこにも強い痛みがないからこそ、じわじわと進行していく。

  • 夢があったわけじゃない
  • でも、夢を諦めた覚えもない
  • 気づいたら、何も選ばずここにいる

こうして、「自分の人生を生きていない」感覚だけが残ってしまう

精神科医アーサー・クラインマンは、「行動しないこともまた強いメッセージである」と語っています。
つまり、あなたが何かを“やらない”とき、それは言葉にならない絶望が行動を止めているサインかもしれないということです。

「準備ができたら動く」は永遠に来ない──人生が止まる理由

「まだその時じゃない」
「いまの自分じゃ、何もできない」
「ちゃんと元気になったら始めよう」

それって、“その日”が来ないことを、どこかで知っているからこそ出てくる言い訳じゃないでしょうか?

「準備ができたら生きる」なんて、言い換えれば「準備ができなければ生きない」と宣言しているのと同じです。
つまり、自分で自分の人生にストップをかけている。しかも、静かに、誰にも気づかれない形で。

では、このまま現状維持を続けた先に、何が待っているのか?

このまま何もしなければ、心はどう崩れていくか

最初は、“なんとなく不安”というレベルだったかもしれません。
でも、それが積もると、次第にこうなります。

  • 人との距離感がつかめなくなる
  • 何をしても「どうせ続かない」と思ってしまう
  • 過去の後悔だけが、心に残り続ける

気づけば、未来は見えず、今日を消化するだけの人生に変わっていきます。

何も壊れていないように見えるけど、すでに崩壊は始まっている。
しかも、自分ではその変化にすら慣れてしまって、もはや痛みも感じない。

こんなとき、人はふと「たぶん、自分はどこかで終わる気がする」と思うんです。
それは、自分の奥底にある“生の放棄”が、ぼんやりとした未来像として現れただけのこと。

“人生を全うする”なんて幻想だ──でも、いまは違う始め方がある

もし今、あなたが「人生を全うできる気がしない」と思っているのなら、ひとつだけ知ってほしいことがあります。

誰も、人生を完璧に生ききった人なんていない。

SNSでキラキラして見える人も、表では「最高の人生を」なんて叫んでいても、
本当は裏で「何が本当かわからない」と叫んでいたりします。

あなたが求めている「全うする人生」なんて、誰かの美化された映像に過ぎないのかもしれません。

だからこそ、いますぐできることはひとつだけ。

  • 完璧じゃないまま、生きてみること
  • 気が進まないまま、なにかを始めてみること
  • 「今日を1%だけマシにする」ことに集中すること

それが、あなたの人生を取り戻す最初の一歩です。

まとめ

あなたがふと感じる「どこかで終わってしまいそう」という思いは、“死にたい”という願望ではなく、“生ききれない”という恐れなのかもしれません。

でも本当は、その感覚があるからこそ、あなたの心はまだ生きようとしている証拠なんです。

「いつか本気出す」「ちゃんと準備ができたら」は、永遠に来ません。
けれど、今日1日だけなら、“生きるふり”だってできる

ふりでいい。見せかけでいい。
何もかも中途半端で構わない。
でも、それが確かに“生きる”ということなんです。

あなたは、もうすでにその途中にいる。
そしてその途中にこそ、人生のかけらが落ちています。

見つけに行きましょう、今日という、欠けたままで始まる1日を

  • この記事を書いた人

天海 悠星

1994年生まれ。大学4年間ボッチ、社会人友達無し。孤独歴10年。孤独のエキスパート。むかしから孤独に強く、孤独と向き合うことで最強のメンタルが身につく。孤独感でつぶされそうな人に向けて、孤独に対処する方法を発信。海外独り旅が趣味。

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