本当は分かってるはずなんです、画面の向こうにいる“あの人”が、あなたを本当に知ってるわけじゃないこと。でも、その声を聞くだけでホッとする。コメントを読んでもらえた日は、まるで誰かに存在を認められたような気がした。その小さな“つながり”に、どれだけ助けられてきたか。だからこそ苦しいんですよね。「もう戻れないかも」って、少しだけ思ってしまう自分に。
目次
【推しに救われる】それが悪いことだなんて誰が決めた?
あなたは悪くないんです。
推しに救われる夜があってよかったし、画面の向こうの“誰か”に生きる理由を見出していたことも、ちゃんと意味があった。
孤独は悪じゃない。人に頼ることも、心を許すことも自然なこと。
実際に、1956年に心理学者ホートンとウォールが提唱した「パラソーシャル関係」という概念があります。
これは、一方通行の関係——例えば配信者やYouTuberと視聴者の間のような関係のことで、
まるで友達みたいな感覚が芽生えるのは、人間の自然な心の働きだとされています。
でもね、「自然」であることと「健全」であることは、少しだけ違うんです。
【孤独は消費される】あなたの寂しさが誰かの収益になっている
今、あなたの孤独は商品になっています。
その画面の中の優しさも、癒しも、全部が設計された「サービス」です。
とくにライブ配信やファン向けプラットフォームは、“つながり”を演出することで、依存を促すように設計されているんです。
例えば、TwitchやYouTubeライブでは、
- スーパーチャット(投げ銭)
- 名前呼び
- 限定配信 これらが“距離の近さ”を演出し、あなたの感情を少しずつ結びつけていきます。
その結果、気づかないうちに、あなたの「好き」という気持ちがビジネスモデルの一部になってしまう。
孤独を感じる人ほど、その仕組みに吸い寄せられやすい。
心理学者ジョン・カシオポの論文『Alone in the Crowd』では、
孤独は伝染するという研究結果が示されています。
一人が孤独になると、その周囲の人々も徐々に孤独を感じるようになる——
つまり、あなたの“推し活”が周囲との関係をさらに分断してしまう可能性もあるんです。
【画面の向こうに逃げる日々】あなたの中の“甘え”と向き合う
「でも、今さらリアルな人間関係に戻るのは怖い」
「もう、推しなしの生活は考えられない」
わかります。その気持ち、本当にわかる。
でも、それって本当に「あなたの言葉」ですか?
もしかして、
- 嫌われたくないから
- 傷つきたくないから
- 面倒な現実から逃げたいから
そんなふうに、自分を“守っているつもり”になっていませんか?
でもその守りは、あなたの人生をすり減らしているかもしれない。
夜中に推しの配信を見て、笑って、泣いて、眠る。
でも、翌朝起きても、何も変わっていない。
むしろ、何も“得られていない”ことにうっすら気づいてるんじゃないですか?
【心のハンドルを取り戻す】推し活をやめる必要なんてない
ここまで読んで、「じゃあ推し活を全部やめろってこと?」と思ったあなた。
違います。僕は、推しを愛する気持ちを否定したいわけじゃない。
推しがくれた勇気や慰めは、ちゃんと本物だったはずだから。
ただ、それに“心のすべて”を委ねてしまうのは危ないというだけ。
たとえば、こんなふうに少しだけ整えてみてください。
- 推しの配信時間以外にも、自分の時間を作る
- 推しにまつわる消費を、1か月だけ記録してみる
- 配信を見たあと、自分が「今どう感じているか」をメモする
こうすることで、あなたの“心のハンドル”を取り戻せるようになります。
「推しに支えてもらう」のではなく、「推しを応援できる自分が好き」
そんなふうに、自分の軸をつくることができたら、それは依存ではなく、愛になります。
まとめ
あなたが感じている孤独は、あなただけのものじゃありません。
それは、資本主義社会の中で、誰もが抱えている“静かな空洞”のようなもの。
だからこそ、そこに優しく寄り添ってくれた“推し”に心を開いてしまうのは、決して間違いじゃなかった。
でも、その優しさが「消費」され、「依存」へと形を変えてしまう構造があることを、見過ごしてはいけないんです。
推しを好きでいていい。応援していていい。
でも、あなたの人生の主役は、あくまで「あなた自身」であるべきです。
画面を閉じたあと、自分の足で歩き出せる自分でいること。
その先にきっと、推しよりも深くあなたをわかってくれる人が、現実のどこかで待っているかもしれません。