「最後に誰かと深く話したのはいつだろう?」
気がつけば、一日がスマホをスクロールするだけで終わってしまう。LINEやメッセージの通知が鳴っても、仕事関係のものばかり。プライベートで誰かから連絡が来ることはほとんどない。休日も特に予定を入れず、Netflixとカップ麺が相棒になっている。
「このままで大丈夫なのか?」と不安がよぎる。でも「まあ、なんとかなるだろう」と自分を誤魔化す。そんなふうに流されて生きているうちに、孤独の入り口に立っていることに気づかない。
もしかしたら、「そんなことはない」「自分はまだ大丈夫」と思っているかもしれない。しかし、気づかぬうちに孤独は静かに進行していく。
目次
日本全体を揺るがした「2008年秋葉原事件」とは?
孤独が進行してしまった先には何が待っているのか。そう考えたとき、思い出されるのが2008年の秋葉原事件だ。
事件の概要
2008年6月8日、東京都千代田区外神田で発生した通り魔事件。犯人は当時25歳の元自動車工場の派遣社員だった。
彼は2トントラックで歩行者5人をはねた後、ナイフを手にして通行人ら17人を殺傷した。
犯人の孤独と社会的孤立
この事件を考えるうえで注目すべき点がある。それは、犯人が単なる「孤独」ではなく「社会的孤立」を感じていたことだ。
北海道大学准教授の中島岳志氏は、
「コミュニケーションが下手で、友達がいない若者はたくさんいる。加藤はうまくやっている方で、もしかしたら、私が教えている学生の方が友達がいないかもしれない。なのに、加藤は孤独だった。問題は友達がいないことではなくて、友達がいるにもかかわらず孤独だったこと」
と指摘している。「友達がいないから孤独」という単純な話ではない。
周囲に人がいたとしても、自分が社会の一員として認識されていないと感じることで、孤独はより深刻なものになる。
25歳孤独と21歳孤独のちがい
25歳の孤独は、友達が多い少ないで測れるものじゃない。「社会的なはみ出し者」という感覚がある。
わかりやすくいうと「負け組」だ。実際、犯人の加藤は、
「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」
とネットの掲示板に書き込んでいた。悲壮感がヒシヒシと伝わってくる。
と、客観的なコメントをしたくなるが、あなたは今こう思わなかっただろうか?
わかる。
そう、わかるわかる。気がやんでるときに見たら応援したくなるほど的を射ている。
実際、Wikiにも、
事件後加藤を負け組の英雄とし、「神」「教祖」「救世主」とまでみなす共感現象が起きた
と書かれている。負け組という事実はほんとうに強力だ。
たとえ、これを発言した人が殺人犯だとしても強く共感してしまう。
25歳は21歳(大学生)とちがう。ステータスではじきものにされている感覚がある。
社会から見放された感がはんぱない。そのことを代弁してくれる人がいたら、そりゃあ神格化したくなる。
そもそも社会的孤立とは何か?
孤独は「ひとりぼっちでいること」ではない。「社会に必要とされていない」と感じたとき、人は本当の意味での孤立を経験する。
職場の人間関係だけでは、心の奥底にある孤独は埋められない。
「誰にも必要とされていない」
「自分は社会の外側にいる」
そう思ったとき、孤独はただの感情ではなく、人生に深く根を張る問題となる。
男が病む理由
病む理由なんて数えだせばきりがない。
- 顔が不細工
- 母子家庭
- 親が酒乱
- 親が障がい者
- いじめられた経験
- 女性経験なし
- 消費税増税
- 低賃金
- モテない
- 社会的不平等
まだまだたくさんある。
特に容姿や家庭問題で病んでいる場合、「人生は運ゲー」としか思えなくなる。
そんな運ゲー世界で努力もせずうまくいっている人たちがいる。
彼らはいつもキラキラしている。いつもみんなからチヤホヤされている。
すると...人って親とか社会のせいにしたくなる。
外れくじ引いたせいで、クソみたいな生活させられてるのは俺のせいか?いやちがう。親だ。社会だ。
コミュ障なのは親のせい。背が低いのも鼻が低いのも親のせい。金がないのは社会のせい。政治家の責任だ。
俺の苦痛も知らず、世の中のやつらは苦労せず人生を楽しみやがって、と他人を責めたくなってくる。
そうすると、その中で本当に行動を起こす人があらわれる。
そして、その人をリーダーのように慕う負け組コミュニティが誕生する。その一例が今回の秋葉原事件だ。
この道を進むとどうなるのか?—孤独ロードマップ
では、孤独はどのように進行していくのか。気づかないうちに進んでしまう「孤独ロードマップ」がこちら。
ステージ1: 25歳「気づかない孤独」
- 学生時代の友人と自然に疎遠に
- 仕事に追われ、私生活が希薄化
- 「最近、誰かと遊んだっけ?」と考えるも、特に行動せず
- SNSで友達のリア充投稿を見て、そっとスマホを閉じる
→ まだ大丈夫。まだ戻れる。 でも、このままなら確実に深みにハマる。
ステージ2: 30歳「交流ゼロの生活が普通になる」
- 誰かを食事に誘うという発想すらなくなる
- 会社と自宅の往復だけの毎日
- 一人の生活に慣れすぎて、人と会うのが面倒に感じる
- 飲み会の誘いすら減り、気づけば「誘われない側」に
- 「結婚は無理そう」と半ば諦め、恋愛市場からフェードアウト
→ ここで気づかなければ、社会的孤立はほぼ確定。
ステージ3: 35歳「孤独が固定化し、社会との接点が消える」
- 人と話す機会が激減し、会話がぎこちなくなる
- 休日はスーパーに行くだけ。店員と話すのが唯一の会話
- 久しぶりの飲み会に参加しても、会話についていけず、ただ微笑むだけ
- 「このまま一人で生きていくのか」と夜中にふと考えるが、すぐにスマホで気を紛らわせる
- 孤独を感じることすら減り、「誰とも関わらない人生」が普通になる
→ ここまでくると、社会復帰のハードルは極めて高い。
ステージ4: 40歳「完全な孤立と無気力」
- 仕事以外で誰とも話さない日が当たり前に
- 昔の知人とすれ違っても声をかける気力すらない
- 会社では「変わり者」と認識され、雑談にも混ざれない
- 健康診断で「運動不足」と指摘されるも、改善する気は起きない
- 何もかもが面倒くさくなり、「どうせ一人だし」と諦める
→ もう戻れない。ここから先は、ただ時間が過ぎるのを待つだけ。
ステージ5: 50歳「孤独が完成する」
- 会社以外の人間関係は完全にゼロ
- 定年後の生活が想像できず、不安だけが募る
- 病気になっても「頼れる人がいない」現実に直面
- 誰とも会話しない日が続き、自分の声を出す機会すらなくなる
→ 孤独の終着点——この人生で、自分のことを気にする人間は誰もいなくなる
正直、今こんなふうに思っていませんか?
「いや、自分はまだ大丈夫」
では、今スマホを開いて誰かに「今夜飲まない?」と送ってみよう。すぐに返事が来るだろうか。それとも、何時間も既読がつくだけで返事はこないだろうか?
「仕事が忙しいだけで、落ち着いたら友達と遊ぶよ」
では、最後に友達を誘ったのはいつだろう? 本当に仕事が落ち着いたら、また誘うのだろうか?
「一人が楽だから、人付き合いしなくてもいい」
それならば、なぜこの記事を最後まで読んでいるのだろう?
「社会が悪い。みんな冷たいし、誰も自分を気にしてくれない」
確かに社会は冷たい。しかし、自分も誰のことも気にしてこなかったのではないか?
おわりに...
このまま坂を転がるか、どこかで踏みとどまるか。決めるのは今しかない。
25歳の孤独は、まだ止められる最後の分岐点だ。
でも、あなたははそのことを知っていながら、今日もまたスマホを眺めるだけで1日が終了する。